16世紀 part10
2020年7月9日16世紀 part11
2020年7月10日E.H.ゴンブリッチは言う。
フランク・ロイド・ライトにとって、”家屋で大切なのは部屋であって、ファザード(正面)ではなかった。内部にゆとりがあって住みやすく、間取りもよくできていて、持ち主の要求にかなっていれば、かならず外観も納得できるものになるはずだった”
”厳密な対象性という伝統を--捨てさせることになったのだから。”
”ライトは技術者の声高な主張を簡単に受け入れる気にはなれなかった。近代工学が発展する中で、技術者からの要請はいよいよ強く、逆らいがたい勢いになっていた。”
”機械が人間の手仕事に勝つことなどできないと、かつてウィリアム・モリスは主張した。それは正しいかもしれないが、しかし、科学技術が社会を大きく支配する時代にあってじゃ、取るべき道は、機械にできる範囲を見極めて上で、それに合ったデザインを考えることだった。”
”人々はむき出しになった裸の建物を見るようで耐えられなかった。しかし、いま、私たちはその外観にもすっかり慣れ親しみ、近代的建築技術による様式の、すっきりした輪郭と単純な形態を楽しめるようになっている”
という。
ライトの建築は、裸になることができなかった建築ということだろうか?
コーリン・ロウは言う、
ライトはラーメン構造に反対がした。だからこそ、片持ち梁のビルなどをたてた。それは有機的建築からはキャンティーのデザインになるのは、当然でからであると。
自然界に、ラーメン構造はない。
そして、ライトの机でラーメン構造なのはないのか・・・?初期の椅子はラーメンか?でも、転びやすい、ジョンソンワックスの椅子はキャンティーである。
花の構造はキャンティーである。決して、ラーメン構造ではない。