フランクロイドライト part26
2020年9月20日17世紀 part09
2020年11月6日なぜライトは戦争の参戦に反対しのか。
マンフォードとライトの仲は1941年に一度決裂する。ライトがアメリカの戦争参加を反対することに賛同したのをマンフォードは許さなかったからだ。
マンフォードの書簡は1941/5/30にかかれている。その返信はいつ書かれたかわからない。
マンフォードは、ナチスドイツは全体主義を広げ、奴隷制度を復活させる国である考えている。それはテロリズムであり、断固として戦わないければならないものだと考えている。(ライト=マンフォード往復書簡集p290)それに対抗するのが大英帝国(≒イギリス)は「正義と自由と平和」を司る国とする。
しかし、ライトはこの考えに賛同しない。
「私は、折衷主義と反動を嫌うのと同じ理由で、君の戦争と帝国に対する態度を軽視しする。望ましい帝国というものはないし、無垢の戦争というものはないのだ」(同書)
戦争に走るものは、「理想から逃走した」ものであるとさえ言う。
ライトは自分の理想を最後まで捨て去らない。「この世界には、まだ民主主義の買う性が存在し、この大陸の上に民主主義が確かにあることを見る」と言う。
当時の歴史
歴史の時系列を見ると、ドイツ軍は1939/9/1にポーランドへ侵攻した。
2日後の9/3、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告する。
9/17にソ連軍も東からポーランドに侵攻する。
1940年春、ドイツは、ノルウェー、ベネルクス三国、フランスなどを攻略し、5/24-6/4のダンケルクの戦いで連合軍(英仏軍)を大陸から駆逐する。6/13にパリを占拠した。
同年9月、日独伊三国軍事同盟を締結。
1941年、ドイツ軍はユーゴスラビア王国、ギリシャ王国などに侵攻(東部戦線、独ソ戦)。
同年1941/12/8に日本海軍がアメリカの真珠湾を攻撃をした。
あとから見てみると
ライトの先見はあったのだろうか。ライトの思考は物事を積み上げて考えていく。大局からみて物事を判断することをしない。有機的に、それぞれ個別の物事をから発してものを見る。
大きな目で見ると、ライトの民主主義の流れはライトの言うとおりになる。しかし、短期で見た場合、ライトが考えたような何事も躓くことなく、民主主義が発展することはなかったと言える。